歩き遍路の体験記2 | 地図に見当たらない山の中へ寄り道しました


とんでもなく朝が弱い私ですが、朝から元気でいられる日があります。

四国を歩いてお遍路したことがきっかけでした。

1周では飽き足らず、3周目に突入してしまいました。

88箇所もあるのにどれ一つ同じお寺はなくて、

若者向けのペイントがされたお寺や、

天空のブランコなるものがあるお寺など、

個性ある88のお寺を見て回るのは飽きません。

しかも、2周していると余裕が出て、88箇所のお寺以外にも、気になる場所があると足を伸ばすようになりました。

目的地は……不明!?

その日。

朝からTシャツアート展を見た後、高知県の遍路道を歩いていると、看板が目に入りました。

矢印とともに、観音様と書かれていました。

お寺かな? と思って紙の地図を見たけれど載っていません。

スマホの地図も開いたけど寺は見当たらず、矢印はただ山に繋がっていました。

予定通りまっすぐ行くか、曲がってスマホにも載っていない観音様を見に行くか。

まるで運命の分かれ道へ誘い込む矢印のようでした。

地図から推測するに、寄り道すると山道込みの往復3キロがプラスになるでしょう。

今日はあと20キロ以上歩く予定なのに。

行きたい、だけど山道3キロはキツい。

迷ったあげく。

観音様を見たい気持ちに負け、寄り道を選んだ私は

「これは観音様が与えた試練か……」

と後悔したほどキツい山道を登り、

「こんなとこまで歩いて登ってきたんね!?」

と、法事の合間にたまたま居合わせた住職さんとお会いし、驚かれることになったのでした。

寄り道のご縁

まだ朝だからかもしれませんが、住職さんが驚くのも分かるかもと思うくらい静かなお寺でした。

観音様にもお会いできて満足し、さて、山を下ろうとする私に住職さんは、

「何もないところに、なんで来たんね」

と言いつつ、「1日ずれていたら法事でココにいなかったから、まぁご縁だと思って座って行きなさい」とお茶を淹れてくれました。

「今日はこれから20キロ」が頭をよぎったけど、せっかく淹れてもらったから一杯だけ……と座ることにしました。

観音様がいる本堂の脇に二人座り、お茶を飲んでいると住職さんが教えてくれました。

四国を回る人はいっぱいいるけど、みんなして言う言葉がある、と。

「もっと若かったら、一度は自分の足で回ってみたかった」

そんなこと言うけどさ……私は心の中でつぶやきました。

私だって20代の頃みたいに、寝るだけで体力が回復し、楽に歩ける足は持っていません。

実際、年々少しずつ歩ける距離は減っています。

「いやいや、ここだってヒィヒィ言いながら必死で登ってきましたよ」

と言うと、自分の足でこんな山を登ってこれるのは、「ありがたいこと」だよ、と笑って返されました。

「自分が当然と思ってやっていることは、当たり前じゃない。ありがたいんだ」と。

その言葉を聞きながら、思い起こされたのは仕事のことでした。

人と向き合うことの多い仕事柄、人それぞれの理解力が違うことに、頭では分かってはいたのだけど、最近悩んでいました。

みんなが同じように出来ることが当たり前じゃない。

そんなこと自分で分かっていたつもりだったのに。

コミュニケーションのちょっとしたほつれで、モヤモヤすることがありました。

そうだよね、当たり前だと思う気持ちがモヤモヤさせてたんだな……。

他人に言ってもらったからでしょうか、胸にストンと落ちてすっきりしたのでした。

この寄り道を選ばなければ、

1杯のお茶を飲んでいくことを選ばなければ、

ずっと気づかなかったかもしれません。

お寺で世話話をする機会があっても、これまでは先を急ぐことや、お寺を見るだけで満足してしまっていて、そういう機会を大事にしていなかったけれど。

悩んでいる時に限って、歩いて四国を回っていると、悩み相談をしたわけじゃないのに解決の糸口が見つかるのです。

仏様がご縁を繋いでくれているのではないかと思うほど、何度か同じような経験をしました。

お寺を「見る」だけだったのが、あの日から見方が少し変わったおかげだと思います。

見て、お参りするだけでなく、お寺の人のお話を聞いて過ごすのも魅力だなと思うようになったのでした。

お四国病と言うそうですが、お遍路道にあるお寺の魅力にハマった私は、これからもその魅力に取り憑かれ続けるのでしょう。

観音さまの近くにある、四国の旅スポットを紹介した記事はこちら。

遍路ブログの一覧はこちら。


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