登校拒否から数年後、初めて歩き遍路して知ったこと


引きこもりがちな高校時代を過ごしていた頃。

そのころの私は夢にも思っていませんでした。

数年後、歩いて四国をお遍路しているなんて……。

歩き遍路の魅力にすっかりハマり4周目を歩く私が、初めて歩き遍路をしたときの記憶です。

体験記だけでなく、歩き遍路の準備のしかたについてもまとめています。

歩き遍路でリュックに入れる持ち物を参考にしたい方は、こちらから

歩き遍路で身につける装備品についての体験談は、こちらから

衝撃の出会い

四国遍路と出会ったのは、就職活動をしていた大学4年のときでした

学校の勉強にうまくついていけなくなってしまった高校時代。

学校にいかなければと頭では分かっていても、行きたくなくて。

かといって、ちょっと外に行くにもコンビニまで片道歩いて30分ほどの田舎です。

半ば引きこもりのような高校生活を送っていました。

周りの大人にとても心配をかけながら、勉強してみたいことを見つけることができて、何とか大学に進学させてもらった、そんなころでした。

就職活動のために初めて四国を訪れました。

そこで見かけたのは、白い服を着て笠をかぶった人たちでした。

同じような格好の人がたくさんお寺に集まっている光景が、当時の私には衝撃的で。

大勢でお参り? 

みんな白い服なのはなんで?

まだスマホはなかった時代、帰ってすぐに調べてみました。

お寺で見た人たち、お遍路さんっていうんだ。

四国をぐるっと一周しながら88箇所のお寺を巡礼する文化があるらしい。

四国遍路を初めて知った瞬間でした。

四国で見た光景が頭から離れない日々

それから数日が経っても、お寺で見かけた不思議な光景がずっと気になっていました。

四国遍路の記事をネットで読みながら、いつしか思うようになっていました。

お寺で見かけた人はたくさんいたし、私にもできるのでは……?

今思えば、YESの確信がほしくて、ネットで検索しまくっていたんだと思います。

ただ、四国一周となると2、3日どころじゃない旅路です。

これまで一人で泊まりの旅行に行ったことすらありませんでした。

かといって、いきなりこんな長旅に誘えるような友達も浮かびませんでした。

来年、大学を卒業して社会にでたら、行こうと思っても行けないのではないか。

そんな気持ちが背中を後押ししました。

よし、夏休みに一人で行ってみよう。

……1週間だけ。

それなら何とかなるかも。

食べたことがない食べ物を、ドキドキと不安の中で「えい!!」って食べるような気持ちでした。

初めての遍路、待ち受ける試練

結局、会社説明会に行った会社とのご縁は無かったのですが。

大学の夏休みの終わりが見えてきたころ。

スーツ姿ではなくリュックをからって、2度目の四国の地を踏みました。

ジーンズにTシャツという普段着に、暑いからとツバ付きのキャップという出立ちでした。

お参りに必要なものは、最初の札所 霊山寺のところで買えると調べてきたのですが、服装については今思えばほんと無知でした。

スマホが普及していない時代でしたから、最初の札所、霊山寺で買った地図が頼りでした。

あこがれの白装束もありましたが、学生のお財布にはキツくて泣く泣く諦めました。

お参りの作法も調べていたけれど、実際にやるとなると緊張のあまり、周りにいる人の見よう見まねになりました。

団体の白装束の方の方たちの流れるようなお経を聞きながら、ふりがなが振ってあるのにうまく読めない中で、たどたどしく般若心境を読みました。

これがお遍路さんの世界か。

……なんて悠長に思う間はありませんでした。

お盆はとっくに過ぎていたとはいえ、まだ暑さが残る季節です。

初日から、宿に着くころには日に焼けていました笑

日に焼けるというか、下手するとヤケドでは? というくらい。

お風呂ですごい痛い思いをしたのを覚えています。

日に焼けた肌が熱を持ち、次の日は、さらに暑さを感じました。

なるほど。

夏だからって半袖 & キャップはよくないことを身をもって知り、笠を買いました。

歩くだけで筋肉痛になるんだ、ってことも初めて知りました。

お寺ではたくさんお遍路さんを見かけたのですが、歩く道で見かけることはほとんどなく、一人で歩きました。

歩き始めて数日、その日は山を登ることになっていました。

登り口に着く前に、地元の人? みたいな軽装の男性と会いました。

「途中まで一緒に登ってあげるよ」という感じで話しかけられました。

長い山道の途中まで一緒に歩き、明確に何をされたということはなかったのですが、とにかく距離が近い。

山の登りでそんなに早く歩けないし、当時20そこそこだった私、なんとなくモヤモヤする自分の気持ちを言えなかった、というのもあります。

やっとのことで一人になれた山道は、笠に何やら虫がバシバシ当たってくる度にドキドキで。

山の端は見えているけど、どこまで続くのだろうという山道を一人、ひたすら登った記憶があります。

無事にお参りを済ませたのですが、山は登ったなら降りなければなりません。

下りは楽だろうと思ってたら、山の下りでは、登りとは違う大変さを知ることになったのでした。

山の高低差を頭に入れておらず、距離だけ考えて宿を押さえていた私。

宿まで行けるだろうと思っていたのに、どうしてもキツくて。

ヘトヘトになり、自販機のよこで座り込んでしまいました。

はたから見てかなり疲れていたのだと思います。

見かけた方が、心配して車で宿まで送ってくださいました。

四国のお接待の文化を初めて知ったのでした。

再びの山道を前に、諦めがよぎる……

思い通りにいかないことばかりの道を歩きながら数日。

地図を見ると、もう一ヶ所、長めの山道があるのが気になっていました。

次の山道にも、前みたいなモヤモヤさせられる人がいたらどうしよう……。

この辺りまでにしようかな?

なんて、弱気になりました。

翌日は、山道を登ってお寺へ行くという日、宿に着くと歩き遍路さんたちと同宿になりました。

これまで歩いている人に会わなかったのは、夏に歩いてお遍路する人が少ないからだと、後から知りました。

向かう先はもちろん、みんな同じです。

山道は一人じゃ危ないだろうから、一緒に行かないかとお誘いをいただきました。

とても有り難かった。

有り難かったのですが……。

即答できませんでした。

連日の歩きと暑さで、だいぶ疲れが溜まっていた中で、皆さんが私より長い距離を歩く予定を組んでいたからでした。

ペースを上げないと歩ききれなさそうな距離です。

誘ってくださったうちの一人は、おじいちゃんと同い年くらい、もう一人はお孫さんかな? って感じの雰囲気。

聞くと、四国で出会った縁で一緒に歩き始めたそうで。

ついていけるかな?

いやいや、足手まといになるのでは?

嬉しいよりも、迷惑になったらどうしようという不安で迷いに迷いながら、翌朝、お返事しますと伝えました。

そして翌朝。

思ったよりも体力が回復していて、

「これなら大丈夫かも!」

と思い、ご一緒させてもらうことになりました。

一人は何度か四国を回っているそうで、歩きながら

「ジーンズで歩くと、膝に負担になるよ」

と(今、考えたら当たり前だよねと思うんですが)教えてもらいました。

当時の私は「そうなの!?」という感じで、服装ひとつとっても知らないことばかりでした。

山道では「もうちょっと、もうちょっとで休憩」と何度も励まされながら登りました。

普段全然運動していないし、私一人だったら歩けなかったと思います。

一人なのか、誰かと一緒なのかで、自分の限界が変わるんだ。

最初の山道よりも長い距離だったのに、心に余裕を持ったまま歩ききれたことが驚きでした。

思えば、この遍路旅の始まりは一人で、当然のようにずっと一人で歩いていくものだと思っていました。

思わぬ出会いもあり、予想しなかった大変さもありました。

山あり谷ありのお遍路道って……そうだ、人生の縮図に似てるんだな。

歩き遍路の楽しさは、お寺を巡っていくことだけじゃないんだ、と知ったのでした。

高校に行きたくなくなってしまった時も、一人閉じこもっていたし、

歩き遍路をすると決めた時も、一人でやるもんだと思っていたしました。

そんな私は、自分が思うよりも人といる時間を楽しめるのだと知りました。

夏の暑さと歩きの厳しさに、体力と気力を削られながらの1週間。

宿では毎日泥の様に寝て、朝は早く起きて、一日中歩き回り。

そんな中だったからこそ、自分を知ることができました。

ご一緒したお遍路さんたちの旅の無事を祈りながら、最初の遍路旅を終えたのでした。

このあと、1回目の結願までに10年かかった理由は↓から。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA